たまには(長いので経歴知りたい方だけ読んでください。)
2025年07月25日 更新
すごく久しぶりにブログ更新。
最近、とある方に『経歴ちゃんとアピールした方がいいじゃないですか!』っていわれたのでちょっと書きます。(全部書くと職歴書が書ききれなくなるぐらいなので)
東京都武蔵野市 双葉栄養調理師学校卒
最初に働いたのは、東京都杉並区下高井戸の『La Voglia Matta』(株)三木インターナショナル(現在は荻久保ルミネの中にあります)
総料理長は名前は伏せますが某番組のイタリア料理王
そんな中ホール業務から始め2年は社員調理候補として勤務。
調理場にまともに入れてもらえず、若い僕は、辛くて逃げだしたのですが直の上司にあたる支配人に連れ戻されアルバイト勤務((笑)
適当なことを言って退職。(ここでの仕事がすべての礎になってるのに気づくのは5年後)
暫く、飲んだくれ
バーで知り合ったシェフに誘われて(株)ゼックス イタリア市場バール吉祥寺店にアルバイトで働く。
何を思ったか覚えてないが、社員になる。
社員になって気が付くと立ち位置は副料理長クラスになってた。
その時すでにピッツァを焼いてた。(笑)
結婚もこの頃かな
その後、店は(株)Pizza Salvatore になりそこでひたすら、ピッツァを焼くことになる。僕がついていたのは業界トップシェフの仕事を隣で見れて、食べることができ、軽く教わることができたこと。
時代が時代なんでちゃんとは誰も教えてくれない。そんなことは日常茶飯事なので気にならなかった。つらくもあり、楽しくもあり、、、
会社内での移動も茶飯事だったので六本木ヒルズ毛利サルバトーレや浦和のサルバトーレのヘルプなんかも
知り合いのお店の立ち上げに誘われて、サルバトーレクオモ退社。
リゾットカフェ東京基地で暫く、働き
子供ができたのを機に(株)ロイヤルホールディングスのケイタリング会社の社員食堂で暫く勤務(ここの料理長(フレンチ出身のシェフ)がすごい人で経営管理など管理職の仕事を教わった。)
私の父が他界のタイミングで地元(壬生町)に変える。
当時、いろいろ回ったが働きたいお店がなく結婚式場で働く。(この時すでに鬱ぎみ)
結局、うつ病になり3年ほど棒に振る。(ひたすらバイト)
体調も戻り、業界に戻りたくなったころ、イタリア料理屋探すけどピンとこず
現(株)Team Barist(居酒屋系の会社) その当時は2店舗目バリトンの立ち上げの求人見つけてなければオープニングスタッフでやっちゃえばいいんじゃね。
って軽い気持ちで入社。
そこから6年かなバリトン店長兼マネージャーやって40歳になったころ家庭の事情で退社
現在に至る。って感じです。
知ってる方は知ってる。有名店けどね、僕は運がよかっただけなんです。
『経歴アピールしたらいいんじゃないですか!』
って言われた人にも言ったんですが、
経歴では美味しい料理は作れないです。
文化、マナーを叩き込まれこうあるべきを学んで、体現しようとする人だけが美味しいものやいいお店を作るんだと思います。
ファミレスや何でもやってる、崩してやっているお店も多いですが、
うちがナポリピッツァ専門店である理由です。
できるだけ、イタリア人が来ても母国と一緒、それ以上といわれるように今後も一生、研鑽です。
長々すいません。